きちんと叱られたことのない子どもたち

子どもが無邪気に遊んでいるシルエット 養育

きちんと叱られたことのない子どもたち

子育て相談における最近の子どもや若者の様子を見ていますと、怒られ慣れていない、という印象を強く持ちます。学校の先生や町の補導員の方と話していても、昔のように簡単には怒ったり、注意をしたりし辛いと聞きます。叱責や注意を不服と捉えられたときに、訴えられることもあるからだと言います。つまり、きちんと叱られたことのない子どもたちが増えています。

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国全体として養育観、教育観が弱まりつつある

さて、近年の考え方として、「私」の幸せ、「個人」としての幸せということが言われます。以前にもまして、私や個人の意思を大切にしてほしい、自分の生き方は自分のものだ、という風潮があると思います。個人が尊重されることは大切です。

ただ一方、私や個人は家族、知人、地域や国の影響を受け、支えられてもいます。ということは、どういう養育観、教育観を国が持っているかが非常に重要になります。

国が個人を支える支える法律や制度の基には、日本が大切にしてきた年長者を敬い、周囲との調和を大切にする日本らしい道徳観があります。ところが、児童の教育や福祉の現場におりますと、西欧的な個人権利や主張を主に置く価値観が強まっています。地域や社会の価値観というものはどんどん薄まっています。

個人、或いは同じ養育観・教育観を持つコミュニティーがばらばらに存在します。しかし、地域や国全体としての養育観・教育観というものは失われつつあります。つまり、国民として、どんな人間を育てたいのかに悪影響を及ぼし、国力を弱めることにつながっています。

子どもたちへの影響

冒頭にも書いたように、子育て相談における最近の子どもや若者の様子を見ていますと、怒られ慣れていない、という印象を強く持ちます。学校の先生や町の補導員の方と話していても、昔のように簡単には怒ったり、注意をしたりし辛いと聞きます。叱責や注意を不服と捉えられたときに、訴えられることもあるからだと言います。

親や学校の先生、大人による理不尽なしつけや歪んだ価値観の押し付けにも問題はありました。しかし、自分や自分たちのことだけしか考えない主義主張を、訴えという形で表し、権利を勝ち取るということが増えました。そして、学校や地域が子どもや家庭に関わりづらくなってしまっています。だから、きちんと叱られたことのない子どもたちが増えています。

国際競争力や国力という観点から

また、中学や高校の教育現場では、訴えへの対応として、けがやリスクへの配慮が多くなり、行事や活動は減ています。内容も思い切った形が取りづらくなっています。なので、子どもたちは、子ども時代に経験できることが少なくなっています。社会に出て初めて経験することが増え、ギャップに苦しみます。加えて、昔より丁寧に扱われるようになった代わりに、それが基準となり、これにも社会でギャップを感じます。社会の方も、ハラスメントなどへの理解増進から、丁寧さを求められるようになりました。しかし、国際競争力や国力という観点で見ると、難しい面が顕著となっています。

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