きちんと叱られた経験のない男の子たち

心に闇を抱え性非行に向かいつつある少年 非行

増加している「きちんと」叱られた経験のない男の子たち

きちんと叱られたことのない子どもが男の子と言えど、女の子への接し方が参考になる。そう確信し出したのは、令和になろうという頃からだろうか。男の子や男性に対する社会の扱いが明確に変化してきたからだろう。その結果、非行少年と言われる男の子であっても、昔のように大人に対して突っ張るどころか、大人にかかわってもらうことを求める男の子が増えた。女の子も同様である。

こうした時代における子たちへの対応法を、叱られる経験の減少傾向、不登校増加、適切な叱り方、今後に向けてという観点から考えてみたい。

子どもたちの叱られる経験の減少傾向

  • 現在の子どもたちや若者は、失敗を恐れてチャレンジしない傾向にある。その背景には、「失敗したら叱られる」「失敗したら困る」という経験を持っていることがある。

  • 上司の世代別でみると、50代の上司が部下を熱心に叱った経験が最も多く、また自身が叱られた経験も最も高い割合となっている。

  • 年代別でみると、小学生の方が「叱られたことがない」と答えた割合が中学生より12.0ポイント高くなっている。つまり、小学生の方が叱られる経験が少ない傾向にある。

不登校の増加と叱られ経験の減少

現在、不登校状態の子どもは小中学校合わせて約30万人にのぼる。これまでの「無理させず休ませる」支援だけでは改善しない事例が増えているという指摘もある。

適切な叱り方 ①その重要性

  • 子どもたちの健全な成長のためには、適切な叱り方を学ぶことが重要。単に叱るだけでなく、子どもの気持ちに寄り添い、建設的なフィードバックを与えることが大切。

  • 叱られる経験の減少は、子どもたちの自己肯定感や挑戦する力の低下につながる可能性がある。適切な叱り方を学び、子どもたちに寄り添いながら、子どもたちが失敗を恐れずにチャレンジできる環境を作ることが重要。

②きちんと叱られた経験のない男の子への対応方法

まず大切なのは、叱る際に子どもの人格を否定するのではなく、行動を叱ること。子どもの人格を否定すると、子どもの自尊心を傷つけてしまう可能性がある。具体的な対応方法としては以下のようなことが考えられる

1. 叱る前に冷静になる

子どもの行動に腹が立っても、すぐに叱るのではなく、一度冷静になることが大切。子どもの気持ちを理解し、適切な言葉で叱ることができるよう心の準備をすること。

2. 叱る際は具体的に

「なぜそうしてはいけないのか」を具体的に説明することが重要。単に「悪い」と言うだけでは、子どもは意味がわからない。なぜその行動が良くないのか、どのように改善すべきかを具体的に丁寧に伝える。

3. 肯定的な言葉も忘れずに

叱る際は、子どもの良いところも認める。「これは良くなかったけど、次はこうすればいいよ」といった具合に、前向きなアドバイスをすることで、子どもの自信にもつながる。

4. 子どもの気持ちに寄り添う

子どもの気持ちを理解し、共感的に接することも大切。「なぜそうしたのか」「どう感じているか」を聞いて、子どもの気持ちに寄り添うことで、より良い関係性を築くことができる。

5. 愛情を忘れずに

叱る時は、「あなたを愛している」というメッセージが込められた表現をすること。例えば、「叱られて嫌な思いをさせてごめん。でも、~のことが大切なんだ・・・」といった言葉かけが大切。

このように、子どもの人格を尊重しながら、具体的な指導と愛情を持って接することが大事。きちんと叱られた経験のない男の子たちにも、適切に叱れば、自分のことを大事に思ってくれているから受け止めようとしてくれる可能性が高まる。

6.自尊心を高める

子どもの自尊心を高めることも、きちんと叱られた経験のない男の子への対応において重要。是非ぜひ、以下の確認を。

  • 良いところを見つけて褒める
  • 意見を聞き、尊重する
  • 適切な責任を与え、達成感を味わわせる
  • 努力を認める
  • 対話を大切にし、信頼関係を築く

今後に向けて

①薄まる道徳観

補導員の方々の研修で、次のようなお話を伺った。ある駐車場で、小学生がボールをけって遊んでいた。ボールが何度も停めてある車に当たっていたので注意した。すると、親が出てきて、謝るどころか、「あなたの車でもないのに、あなたにそんなことを言われる筋合いはない、何なら訴える」と苦情を言われ、引き下がらざるを得なかったという。かつて道徳という価値が社会全体として後ろ盾としてあり、親でなくとも子どもたちを見守ることが出来たわけだが、それも難しくなっていると。

この話は、「道徳」というものが社会全体で共有され、社会全体としてどんな人間を育てたいか、どんな子に育ってほしいかという判断基準があった、ということであろう。なので、社会全体として、子どもを見守りづらくなっている。子どもは親だけで育てるのではない。社会もその役割を担っている。先述したエピソードで言えば、親は叱ってもらう機会を拒絶し、子どもは叱られる機会を逃したわけである。社会全体としての「道徳観」が薄まっていることをよく表した例である。

②道徳観が薄まる理由とその影響

道徳観が薄まりつつある理由については、既に様々に意見されていると思うが、「グローバル」、或いは「多様性」が良いもの、という価値観の広がりの影響は大きいと考える。更に言えば、何故そした価値観がそれほどまでに社会に広まったか、社会が受け入れたのかという問題はある・・・。

とにかくその影響で、教育観は混とんとしてしまっている。LGBT理解増進法子どもアドボカシーの運用は、この混とんを更に拡大させると思われる。「個人の権利」という名のもとに訴訟を起こしたり、「子どもを庇護する制度や立場」は確実に優先されたりするためである。子どもに負荷をかけること(注意や叱責、危ない体験など)は避けられ、問題性や可能性を感じても手をこまねくしかない。確実に、我関せずという立場をとる人が増えてしまうのである。

ゆえに、教師や子ども関係の支援者は対応に苦慮し、教育者になりたいという人材も現に減っている。努力は孤軍奮闘であり、そうした傾向は増している。昨年あたりから起こっている「常識を超えた」強盗事件の有り様も、こうした問題性の表れと考える。

⓷社会全体としての教育観の再構築を図るにはどうすればよいのか

この混とんを止め、社会全体の教育観の再構築を図るにはどうすれば・・・。意識改革?新制度?社会運動?コミュニティーづくり?・・・私は、国レベルでの取り組みしかないと考える。広まる混とん、言い換えれば、社会全体としての教育観の崩壊を止めるのは、個別の取り組みでは難しい。となれば、政治の力が必要ではなかろうか。

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