不良少女ミキ

タバコを吸うどこか影を感じさせる非行少女 非行

不良少女ミキとの出会い

不良少女ミキは中学2年で施設にやってきた。両親は幼いころに離婚、母は夫を3度もかえ、転居が多かった。新しい義父の家庭となるたび、気をつかう窮屈な思いを繰り返した。

だからミキは転校に次ぐ転校で、なかなか友達ができなかった。また、弟が障害を持っていたため、母は弟にかかりきりとなり、ミキにはあまり手をかけてこなかった。ミキの心は幼いころから孤独だった。

保育園では落ち着かない子と言われ、小学校ではいじめを受けた。学校も家庭に相談を持ちかけていたものの、母は弟のことで手いっぱいだった。家も、学校も辛くなっていった。

小学高学年のころから、ミキはネットの世界で出会った10も20も上の年齢の男性に刹那的な癒しを求めた。体の関係も多くなった。時には無理やりなこともあった。それでも家や学校にない温もりを求めた。自分を受け入れてくれる瞬間を求めた。

学校にもあまり行かなくなり、家に帰ると母親に暴力をふるい、内縁の男性に反発し、たまに学校に行くとあからさまに周囲に反発するようになった。周囲から完全に愛想をつかされた。浮いていった。

本当はすごく不安だった

小6になった頃から児童相談所に相談され、何度か一時保護されてきたが、やがて私たちのところに来ることとなった。

そんなミキだったが、家から分断されるという現実に直面した時、寂しさや不安が一気に高まり、玄関まで来たものの、家に帰りたいとひどく駄々をこね出してしまった。母と児童相談所の職員は、その状態のままのミキを残して帰るわけにもいかず、困り果てた。

そんな中、妻が、しばらくの間はお風呂も一緒に入り、夜は怖くないよう添い寝もするという条件を出した。何とか我慢するということになり、第一日目を迎えることとなった。やはりまだまだ子どもなのだ。

ところがその晩、就寝間際に、まだ幼い私の子どもが高熱を出していることが分かった。わが子が寝付くまで、妻がミキのところに添い寝にいけなくなった。

私はミキに

「申し訳ないけど、せめて子どもが寝付くまで部屋で待っててくれへん?」

と言った。

ミキは即座に不機嫌な顔をして、明らかに『私イラついてます!』とアピールするように、他の寝ている子らのことも考えず、大きな足音を立て、部屋に戻っていった。しかし、『まだ?』と何度も私のところを訪れた。それを何度も繰り返した。

あまりのわがままに周囲も私も気持ちが限界に・・・

いくら初日で不安だとはいえ、あまりに横暴でわがままな振る舞いに、他の子らの苛立ちも限界に達していたので

 「今日はもしかしたら無理かもしれんけど子どもも小さいし、他の子も寝てるから我慢してくれへん?」

といった。

すると、ミキが目をむいて

「約束が違う!・・・私がどんな気持ちでここに入ること受け入れたと思ってる?・・・それでも職員?おかしい!!部屋に添い寝するとか嘘つき!謝って!土下座して謝れ!」

と大声でまくし立てた。

あまりのわがままに、私はとっさに手が出そうになった。怒りで体が震えた。

子どもたちと向き合うということ

私は心の中で
『こんな時間(夜中)に、まだ小さい子どもの看病をすることがおかしいか?はあ?そもそも添い寝の提案も、わがままを言うお前を気遣っただけのこと。なんでそのくらいのことわからないのか。他の子らも大きな文句の声とか、足音にイライラしてる。土下座?誰に言ってるのか。どこまで望むのか。なぐらない時がすまん!!』

しかし、ふと思った。この子は何故こんな理不尽なことまで言えるのか。
ありえない程人を傷つけることを言ってしまえるほど、辛い扱いを受けてきたんじゃないのか。それ程心に余裕がないのではないか・・・

自分自身に問いかけた。

『俺はなんで非行少年少女と一緒に生活しようと思った?その子らに寄り添うためじゃないのか?ここで今日来たばかりのこの子に、「今のはおかしい!」と説教して怒ったとしても、この子にしてみたら、結局この人も今まで出会った(受け止めてくれない)大人たちと変わらない!と思うだけじゃないか。この子に、絶対俺に出会ってよかったと思わせる!』

そこまで考えたとき、私は土下座していた。

周囲との衝突からの学び

「ごめんな。この通り。子どもが寝付いたら必ず部屋に来るよう言っとくから、辛抱してくれるか
。」

ミキの顔は少し戸惑ったように見えた。明らかに唇は震え、しどろもどろにこう言った。

「・・・約束やから!」

そう言って、部屋に戻っていった。怒りをぶつけるところを見失い、語気を強めるのが精一杯といった様子だった。

その後、ミキは、生活に馴染むにつれ、成長が見られた、と言えたらいいが、その後もわがままを出しては周囲と衝突を繰り返した。時には、衝突から学ぶこともあった。しかし、わがままは大きくは変わらず、いつも周囲からは嫌われた。厄介なことに、嫌われてはその原因を周囲のせいにした。トラブルが耐えなかった。

ミキとの別れ

そんなミキも1年後に、家に引き取られた。1年もいたので、少しは寂しさも感じてくれたかと思ったが、意気揚々と帰っていった。

ところが、帰ってからというもの、毎日連絡がきた。母との関係、通い始めた学校のこと、新しくできた彼氏の話。ある時は、特に用もなしに。

次第に、生活は乱れていった。朝方酔っぱらって架けてくることもあった。自分を自分でコントロールできないことも自覚はしていた。

本人に内緒で母からの相談もあった。母はどう接してよいかと悩んでいたが、結局ミキのことを遠ざける内縁の夫との関係を優先してしまうのだった。女性としての母の苦しみだった。離婚を経て新しい彼(ひと)と出会った母親の場合、「母であること」と「女性であること」の葛藤は多い。

3ヶ月が過ぎて

3ヶ月が経ったある日、電話口のミキは泣いていた。施設に戻りたいと言い出したのだ。

「私…井上さんや奥さんが言ってたことやっとわかる気がしてきた。井上さんたちのところで頑張っとけばよかった…帰りたいよう…」

ふと「絶対俺に出会ってよかったって思わせる!」と土下座した時のことを思い出した。しかし、そんなことはむしろどうでもよかった。彼女は今、新たな気づきのスタート地点に立っている、そんなことをしみじみと感じた。

私たちのところに戻ることは叶わなかった。高校にも進学も出来ず、紆余曲折もあった。しかし、二十歳を超えたころから徐々に大人になり、今では結婚もはたし、幸せな日々を送っている。

 

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