嫌いなのに親を許してしまう子どもたち
子どもたちが嫌いな親を許してしまう理由
子どもたちが嫌いな親を許してしまう理由には、いくつかの心理的要因が関係している。その主な理由は
愛着の絆
子どもにとって、親は最も重要な存在。親子関係は、子どもの心の発達に大きな影響を与えます。たとえ親が嫌いな行動をとっても、子どもは親への愛着を持ち続けることが多いのです。
依存心
子どもは親に完全に依存しています。食事、衣服、住居、教育など、生活に必要なものすべてを親に頼っています。そのため、親を許すことで、自分の生活を守ることができると考えるのです。
罪悪感
子どもは、親を許さないことで、自分が悪いと感じてしまいます。親を許すことで、自分の良心に従っているという安心感を得られる。
将来への不安
親を許さないと、親との関係が悪化し、将来的に自分の生活に影響が出るのではないかと子どもは恐れます。親を許すことで、その不安を和らげることができるのです。
社会的圧力
子どもは、親を敬うべきだという社会的な価値観に影響されています。親を許さないことは、周りから非難されるかもしれないという恐れがあるのです。
以上のように、子どもたちが嫌いな親を許してしまう理由には、心理的な要因が複雑に絡み合っています。子どもの成長過程において、親子関係の修復は重要な課題といえる。
エピソード(個人情報の関係で特定されないよう大きく脚色している)
母の顔色ばかりう少女ユキは、いわゆるヤングケアラーである。母との生活は本当に苦しかったと振り返る。母の仕事はラウンジの従業員なので、朝帰ってから夕方出勤するまでは寝ている。だから、毎日、母の代わりに家事をしていた。幼い頃は寂しかったが、いつしかそれにも慣れて、母がいない方が楽と感じるようにもなっていた。母は気まぐれな人だった。ユキに優しい時もあったが、多くは冷たかった。
反抗がはじまる
中学に入った頃から、母に対して反抗してするようになった。我慢の限界だった。喧嘩にもなり、つかみ合いになることもあった。「生まんかったらよかった」と言われることもあった。自分のことしか考えてなくて、ユキのことなど考えてくれなかった。つらかったし、悲しかった。母の彼から暴力を受けるときがあった。怖かった。近隣から警察への通告で、児童相談所の人の訪問があったが、母は知らないと言った。ショックだった。母はユキが叩かれたり、蹴られたりしていた時、そばでスマホを触っていたからだ。ユキは思った。母にとって、自分は都合のいい存在なのかと。
嫌いなのに求めてしまう母という存在
しかし、ユキは思う。母にきちんと自分の気持ちをわかってほしいと。母とはもっと話すべきだったのではないかと。結局はそんな母を許してしまうと。これからも。嫌いなのに、求めてしまう自分がいる。もしかしたら母が上手くいきれないのは自分のせいなのかとも。
親を客観視できてこそ、本当の自立が始まる
実は虐待も含め、親に苦しめられる子どもの多くに、親を許してしまうユキのような思考(参考:反抗しても子どもは親に気を遣っている)がみられる。子どもにとって、親というのはそれほどまでに、大きくもあり、支配的な存在なのである。子どもの時期の世界が狭さもあるし、経済的に親から自立などできないということもある。しかし、親に認められたい思いは、大人になってもずっと引きずれられることは稀でなはい。多くの人が、深刻さは別としても心当たりはあるはずである。
なので、ユキの場合、親を客観視するということが、つまり、苦しめられた親と分かりあえるようになりたいと大きく期待するのではなく、母を、一人の女性として受け入れ、母は母、自分は自分、という生き方に目を向けることが大切なのである。そこから本当の、ユキの自立が始まるのである。
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