しつけの暴力をなくしたけど
ある男の子のケースだが、父親は強い者へのあこがれがあり、子育ても、特に男の子は多少は悪い方がいいとう考え方だった。小学生になり、粗暴さが学校で問題となってくると、父は叩く・蹴るといったやり方で、いわゆる「しつけ」を行った。しかし、一向におさまるどころか悪化していった。父への反抗はなく、母や弟に暴力が強く出るようになったのだ。
そもそも母は、かわいさゆえに本人に甘く、暴力があっても小学中学年ごろは力も対抗できた。だが、高学年に差し掛かってくるとかなわなくなった。父は、なぜ暴力が効かないのかと悩み、父母で児童相談所に相談することになった。
相談所から、父は、叩く蹴るの養育は間違っていると指導を受けた。これについては実感もあったので、すぐ実行した。本人も、相談所職員や学校教員に、それは嬉しいと表現してはいたが、問題行動はエスカレートしていった。
暴力でなく、何で伝えるのかを教える
父親が暴力をなくしたことは、もちろん間違っていない。しかし、子どもの暴力への認識を変えるこももしなければならない。それはどうすればいいのか。
まず大事なことは、この子にとって、暴力がどのように認識され、暴力で解決してきたことを暴力以外でどのように解決できるか、ということを認識させていかなければならない。そうでなければ、恐い父親が、恐いことをしなくなったというだけになってしまうのだ。もしかすると、警察が追ってこなくなったから、もっと悪いことが出来るという認識だ。
なので、父が何故暴力をやめたのかを、できれば父が、或いは別の人が説明しなければならない。
そして、その際、暴力をしてきたことを、間違ったことをしてきたことを認め、謝らなければならない。この「謝る」という行動が、非常に大事なのだ。間違ったプライドがある場合、謝るは「負け」という認識となって、スルーしようとしたり、ごまかしたりする人がいるが、これこそが大きな間違いなのだ。
暴力ではないやり方を教えるために
●間違っていることを認める
●認めた後、どのように振舞えばよいのか、再出発できるのか
を身をもって教えることができるのに、自分は認めず、例えば恥を回避してしまうやり方では、何も伝わらない。この2点を自らが示すのだ。
ただ、親や親にあたる養育者が、非を認め、その後どうすればよいかを身をもって示すことができない時は、難しいが、養育者に匹敵する形を他のほかの誰かが示してやらねばならない。その誰かは、この子にとって親にも変わるほどの特別な存在となる。
その時に大切なことは、赤ちゃんから養育をやり直すイメージである。
赤ちゃんからやり直すイメージとは
赤ちゃんは、話せないし離せないし、何もできない。一方、小学生も高学年となれば、ましてや中学生ともなれば、何でも話せるし、だいたいのことは出来る。しかし、本当に「何でも話せ、何でもできているのか」。
実は、こうした身体的虐待などによって、必要な愛着形成が出来なかった子どもは、自分自身の状態を捉えるのが苦手だし、自分の気持ちを言語化するが苦手なのだ。だから、赤ちゃんのように、養育者や養育者にあたる者が本人の状態や気持ちを察し、言語化を手伝ってやらねばならないのだ。
そのためには、常に本人の置かれておかれている状況に気を配り、寄り添う必要がある。そんな存在に誰がなれるかが、その後の人生に大きく影響することになる。
非常に参考になる本
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